今回は、人に優しいという観点、また、街の景観素材として、今日、プレキャスト擁壁に求められている課題とは何かを考えてみたいと思います。
先日、街づくりの中で高齢化・ハンディキャプト対策をどう解いて行ったら良いのかをテーマに、この問題と長年取り組んでこられた研究者のお話をうかがう機会がありました。そのお話のなかで、北欧のある特別養護老人施設の話が出てきました。しかもそこに収容されているご老人はほとんどアルツハイマー症の方達ばかりだというのです。ところが、そこにいる人達は、個性的でお洒落で、しごく生きいきとして暮らしているというのです。
それぞれの病室は個室なのですが、これが自宅の部屋をそのまま再現するようになっていて、家族の思い出の品や、長年慣れ親しんだ家具や調度品、気に入った衣装といったものに囲まれて暮らしているというのです。痴呆性老人だからといって、とりわけ特別扱いをするのではなく、普通の人と同じような暮らしを保証しているのだそうです。
当然、ヘルパーの手助けが必要なことは言うまでもありませんが、 いわば各病室が一軒一軒の自宅のようになっていて、 それぞれが着たいものを着、好きな髪型をし、したいことをして暮らしているというのです。 とても信じられないような話ですが、実際、 見せていただいた写真には、まさにそのような暮らしをする車椅子の老婆が真っ赤なドレスを品良く着こなした姿で写っていました。
また、この”自宅”のドアを一歩出ると、そこは共用の居間になっていて、 それぞれ会話の意味はほとんど通じていないとはいうものの、 おしゃべりを楽しでいるというのです。 わが国のこうした施設や福祉のあり方と比較して、なんとも羨ましいばかりか、 人間らしさ、ヒトに優しいという事の本当の意味を痛感せずにはおられません。
ところが、こうした立派な施設にも盲点があるもので、”自宅”のドアが判らずに迷子になるケースが後を絶たず、 頭を痛めているのだそうです。 各部屋の入り口部分はどれもが似通っていて団地のよう。 そういえば、団地にも同じような現象がおこりつつあるようにも思えますが。 表札や色彩・サインも感知力の低下したお年寄りが自分のドアを識別するのにはあまり効果が無かったのだそうです。 施設管理者は苦心の末、家族の写真をドアに掲げたところ、 これが絶大なる効果を発揮し、迷子が減少したということです。 自分の名前すらわからなくなったご老人でも、 だれであるかは別にしても家族の顔だけは記憶しているのだそうです。